技術経営士ジャーナル
知見の囲炉裏端

執筆ノート

現場の判断、経営の判断 宇宙開発に見るリスク対応 山浦 雄一

NASAも宇宙航空研究開発機構(JAXA)も致命的失敗の当事者となり、もう失敗は絶対に許されない瀬戸際で、現場と経営が厳しい批判に耐え成功の使命を達成した過去があります。 「はやぶさ2」の小惑星サンプル回収成功、国際宇宙ステーション(ISS)計画での実験棟「きぼう」の実現と宇宙飛行士やISS物資輸送機「こうのとり」の活躍、H-IIAロケットの連続成功、スペースシャトル搭乗実験の成果などは、日本が世界に誇る宇宙開発の代表例です。

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地域×学校×退職者×大学生×…=∞ 潮田 邦夫

充実した学校支援活動に向けて 少子高齢化が加速する現代では、240万人の団塊世代がいる中で、2016年以降生まれの子どもは毎年100万人を切っています。子どもの成長を支え、子ども一人ひとりの未来を輝くものにする責任が、以前にも増して我々大人に課せられているでしょう。また、子どもの将来を支援すると同時に、高齢者が今までの人生で培った知識を活かし、やりがいを持って活動できる場所を確保することも必要です。

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開発設計の教科書 寺倉 修

自動車業界は100 年に1 度、いや130 年に1 度の変革期に突入した一一。loT (Internet of Things) や人工知能 (Al) 、第 5 世代移動通信システム(5G) といった新技術が登場し、ものづくりの世界を劇的に変えつつあります。自動車メーカーはCASE(ケース)、すなわち「コネクテッド (Connected) 」「自動運転 (Autonomous) 」「シェアリング(Sharing)」「電動化 (Electric) 」の開発を加速。自社や系列企業との連携にとどまらず、テックカンバニーと呼ばれる国内外のIT企業など異業種とも租極的に連携を開始しています。

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「設計力」こそがダントツ製品を生み出す 寺倉 修

「設計力」こそがダントツ製品を生み出す 日刊工業新聞社 初版2018年2月、初版  著者 株式会社ワールドテック 寺倉 修  製造業は今、100年に一度の変革期を迎えたと言われている。IoTやAIの急速な進化と普及は、モノづくりが新たな段階に入りつつあることの明確なシグナルである。こうした世の中の動きを先取りするかたちで、自動車メーカー各社は、従来の自前主義を脱し、すでにAIなどをめぐりIT企業との協業を始めている。当然、部品メーカーも自動運転化や電動化を踏まえ、今までとは異なるシステム部品への取り組みを模索する企業が増えている。

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「設計力」こそが品質を決める/「設計力」を支えるデザインレビューの実際 寺倉 修

(1) 「設計力」こそが品質を決める-デンソー品質を支えるもう一つの力 日刊工業新聞社 初版2009年、第7版2017年著者  株式会社ワールドテック 寺倉 修 2009年にこの「設計力」に関する書籍(日刊工業新聞社)を上梓し、その重要性を世に問うた。当時は「現場力」という言葉はメディアなどで頻繁に取り上げられる一方で、「設計力」という言葉については、ほとんど目にすることはなかった。それからしばらく時が経ち、最近はようやくこの「設計力」という言葉も徐々に浸透してきた。「市民権」を得たようで心強い。

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ビジネスマトリクス経営/「働きがい」の伝え方 海野 忍

(1)ビジネスマトリクス経営 2016年6月21日 初版発行 発行 株式会社クロスメディア・パブリッショング ベンチャー企業であれば社員全員が一丸となって目的に向かって突き進んでいくのに、大企業ではなぜそれができないのでしょうか。組織が大きいが故に社員個々人の存在意義が不鮮明となり、上司に言われたことをやっていれば安心してしまうようになっていった結果として、自ら進んで仕事をする意欲をなくしがちになるからでははないでしょうか。

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「危機感のない日本」の危機 大石 久和

『危機感のない日本』の危機」をお読み下さい  日本は1995年以降まったく経済成長せず、GDPの世界シェアも約18%から約6%に転落してしまいました。高齢化の先頭を走っているのに、年金介護医療制度の抜本改良もできず、小選挙区制で生まれた政治家に歴史観や世界観という大局観がまったくなく、九州を越える面積の国土が所有者不明となっているのに有効な手も打てていません。

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日本人はなぜ変われないのか/日本はどう変わればよいのか 久野 勝邦

小生の最近執筆した下記2冊の書籍について紹介する。 「日本人はなぜ変われないのか」:久野勝邦著(明文書房2014/08/05初版) 「日本はどう変わればよいのか」:久野勝邦著(明文書房2015/09/02初版) (著者紹介) 昭和15年(1940年)福岡県で生まれて、旧満洲にて終戦を迎える。戦後の混乱の中で引き揚げ、東京・北海道を転々とする。昭和37年(1962年)、東京大学工学部卒業後、大企業に就職し、大型機器の設計製作・輸出業務に携わる。

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